若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

朝井リョウ『正欲』の名付けられた苦しみ

 


朝井リョウさんがRHYMESTER宇多丸さんのラジオ番組にゲスト出演していた。その時に「自分の感情がドロドロにされるような物語をみたい」というようなことを仰っていた。朝井さんはアリーアスターさんの大ファンを公言していて、『ミッドサマー』みたいな作品のことなんだろうと思った。『エヴァンゲリオン』の旧劇場版もそのカテゴリーだろう。毒にも薬にもならない作品は、すっと身体に浸透するが消化もはやい。たまには身体を壊すほど香辛料の効いた食事をして後遺症に悩まされたい。Netflixの『13の理由』のシーズン1の最終話を観てから1週間は心が沈み込んでいた。後味の悪い作品は長く、そして強く心に残る。その時間を考えればぼくの心は悲しい物語で出来ているかもしれない。朝井リョウさんの『正欲』もそういった感情を狙ってつくられた作品で、彼の思惑通り、読破後の今も頭から内容が離れずにいる。

 


正しい欲と書いて正欲。多様性の枠からはみ出た人たちが理解されない欲望に悩む作品である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここからは本書のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


しばらく前に、オリンピック関連でジェンダー問題が話題になってからそういった発言は厳しい目で見られるようになった。女性の体型で笑いを取ろうとする発言であったが、発言された本人は「自分の体型に誇りを持っています」とコメントしていた。ぼくは渦中の人たちよりもその周りで声を荒げている人たちに恐怖を感じた。「男性たるものかくあるべき」、「女性たるものかくあるべき」など自分の理想を掲げてそれから外れる人物を排除する姿勢が恐ろしいのである。たしかに自分の立場を利用して他人を貶めることは褒められたことではない。しかし男性であれ、女性であれ、健康でさえいれば太っていたって痩せていたってよいではないか。それを指摘したところで、その人を悪く言う必要はあるだろうか。痩せていれば服を綺麗に着こなせるし、太っていれば柔らかな質感を手に入れられる。そこからは好みの問題でなりたい自分になろうとすればいいし、すきな人の好みに頑張って合わせようとしてもいいかもしれない。

 


しかし、本作の人物たちが抱える欲望は複雑だ。簡単に実現できない上に、理解もしてもらえないだろう。

 


アダルトサイトは検索にフィルターをかけることができる。それは職業であったり、シュチュエーションであったり、男女の関係性であったりする(ぼくはVR機器を持ち合わせていないので検索画面からVR動画をハジくようにしている)。

 


彼らの"癖"はフィルターをかけても検索にはなにも引っかからないだろう。本作で、多様性とは世間が考え得るものに限定される、としている。自分が想定していないものに遭遇しても嫌悪感を抱いてしまうだろう。ゾンビ映画でゾンビに異様に惹かれる人物がいたら、そんなキャラクターは孤立してしまう。たとえそんな人が周りにいたとしても、その人の気持ちをわかってあげることも、苦しさを解消してあげることもできやしない。

 


この作品を読んでいて辛かったのはそんな苦しさを解消する方法が一切見出せなかったからではないだろうか。

 


苦しさを抱える人々は犯罪と誤解されるような行動に手を出していく。

 

 

 

『社会的な繋がりとは、つまり抑止力であると。法律で定められた一線を越えてしまいそうになる人間を、なんらかの形でその線内に留めてくれる力になり得ると。だけどその繋がりは、学校や会社などの通常ルートから外れた途端、自然と浴びられる繋がりを、自ら両手を伸ばして掴み取りに行かなくてはならなくなる。』

 


たとえば、離島の全く車が通らない道では信号を守らないかもしれないし、緊急時にひと気のない田舎であったら立小便すらしてしまうかもしれない。ぼくらが人に責められるような行為をしないのは世間の目を気にしてのことだろうし、地球上で1人だけになったら『アイアムレジェンド』のウィルスミスのようにスポーツ用品店からゴルフのアイアンを持ち出してビル街で打ちっぱなしをはじめると思う。

 


だからいかなる人であってもヒトのテイを保つためには繋がりが必要なのである。この本の人たちであれば自分の欲望を共有し合える同士が。しかし繋がりを求めることはリスクでもある。

 


『悩みを共有する仲間の存在は心強いが、現状を肯定し合うようになってはいけない。』

 


との文もあった。法を守った上で、繋がって自分の欲望を叶えられるようにもがかないといけない。もがくほどその姿は目立つ。世間の目が厳しくなってる今、カテゴライズできない人がもがくことはさらに難しくなる。