「学校で習わなかった?」の、お前はなにを習ったんだ
わたしのはてなブログを書きたい欲が高まってきた。つまりは嫌なことがあった。嫌なことぐらい毎日ある気もするが頭に残っている。
わたしは部署内で最年少だ。27歳で最年少。世間一般にみて、若いのか老いているのかわからないがアイドルなら卒業していてもおかしくないし、大学1年生であれば留年8年生だ。大学は7年までしか留年できなかった気がする。最年少ということは権力がない。若くして権力を持っているのは王族の後継か、女子高生ぐらいであろう。
能力があればそんな序列も覆そうという気力が湧いてくるかもしれないが能無しである。そこからの選択肢としては、経験値をためて序列をひっくり返そうとするか、YESマンになるか、だ。わたしはYESマンを選んだ。
YESマンは上司が間違ってる気がしても、又は1ヶ月前と言っていることがちがってもYESマンだ。反論はない。さすれば平穏が訪れん。訪れんと信じている。
YESマンなので飲み込む速度は違えど肯定する。そんなあたしが本日は飲み込んだ後に腹を下した。
「学校で習わなかったか?」と言われたのである。
「たぶん、習いましたがわかりません」と答えた。
この言葉が腸内に入った後も異物感を残すので冷静に考えてみた。学校で習ったことのどれだけがわたしの中に残っているだろう。ひょっとすると1%ぐらいではないだろうか。ロング缶を数本あけた今は体言止めしか出てこない。仮にこんなひどいことを言い放った先輩が学校で教えてくれる情報のすべてを頭に留めているとする。なぜ電通にいない。電通は言いすぎだとしてもわたしと同じ会社にいるのはおかしいであろう。いや、学校のことがぜんぶ頭に入っている人であれば電通にいてもおかしくはない。
これが見聞きしたものがすべて記憶されるべきだ、という考えてあれば、おめでとうごさいます、MENSA会員です、といった感じだ。
ありえない可能性を消していくと先輩は大嘘つきだ。あるいは身の程知らず。しかし私はこれにYESという。つまりはわたしも嘘つきだ。