若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

アニメ『エヴァンゲリオン』で考える現在の正体

 

 


小学生の時だったと思う。お母さんがエヴァンゲリオンのビデオを借りて、ぼくにみせるでもなく観ていた。当時、戦隊モノのロボットしか知らなかったぼくは、ロボットなのに(正確にはエヴァンゲリオンは人造人間である)、吠えて、パーツが欠損すると血が噴き出すのをみて、アスカのように「気持ち悪い」と思った。お母さんが自らチャンネルを手に取って番組を変えることなどなかったので、はじめてあの人が能動的に選んだ作品(だと思ったの)がエヴァンゲリオンだった。子ども心に「悪趣味」だと思った。

 


それからアニメ版のエヴァを2周するに至ったのは大学生の頃である。観た上での判断なのだが、シンジくんをはじめ主要キャラクターたちの、14歳を超えた後に観た方が楽しめる作品ではないだろうか。14歳で二次成長期を迎えて筋肉量が増え、異性を意識しはじめるし、やり場のない衝動を抑えるのに必死だった。あの頃のエネルギーはすぐに制御の効かなくなるエヴァンゲリオンのようだった。

 


シンエヴァンゲリオンを観て、もう一度頭からエヴァンゲリオンを観たくなった。3周目に感じたことをここに書いていく。

 

 

 

ここからはテレビ版エヴァンゲリオンのネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず驚かされるのはシンジくんが思いのほか明るいというところである。ミサトさんにツッコむし、皮肉も小言もいう。内気だと思っていた少年は身に余る重圧に耐えながら自分の責務を全うしようとする。今まで思っていたシンジくんの印象は弱虫な少年だったのだが自分よりも随分勇敢な戦士だった。彼が精神的に追い込まれるのは意外にも全ての使徒を倒した後である。最後の使徒のことを考えるとあんな精神状態になるのも充分わかる。

 


自分の中で大切にしていたものがなくなった時にどう心を保てばいいんだろう。NARUTOを読んで育ったので「俺の存在は復讐を果たすことだ」と刷り込まれている。それによって小さい頃から生きる意味について考えるようになった。どう考えても楽しいことより辛いことの方が多い。しかも辛いこと1個に対して楽しいことが20個ないと心のつり合いが取れないらしい。そうなればどう足掻いても不幸せを感じている時間の方が長い。そこまで辛い思いをして何故生きなければならないのだろうか。

 


ゲームの実況動画を観ると自分よりも遥かに上手い人が、どう操作したらそうなるのかわからない動きをしていたりする。動画やソーシャルメディアなどあらゆる分野で自分より優れた人が見つかる。自分は必要なんだろうか。

 


シンジくんはエヴァンゲリオン初号機パイロットである。誰よりもエヴァンゲリオンをうまく動かせられる。そして何度も葛藤があった上で乗り続けているのは彼がそう選択したからだ。「人類がどうなっても知ったこっちゃない」と隠居生活をしてもよかったはずだ(ネルフに追っかけ回されるだろうが)。ぼくも自分が正解だと思った選択肢を選んで25年間生きてきた。自分の中の正解だけ選んできたのでぼくが誰よりも正しい。だから他人をみても正解には思えないし、自分の正解を上回る他人の回答がいくつもある。現在は正解の蓄積である。だからなんで自分がこう生きてきたのかを教えたいし、もっと人の正解に至った理由を知りたい。

 


エヴァンゲリオンは血飛沫が飛び散る陰惨な作品だと思っていたが、とんでもない。現在を肯定する優しい作品なのである。