若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

『新世紀エヴァンゲリオン air/まごころを、君に』で考えたセカイの正体

 


シンエヴァンゲリオンを観た何人かは旧劇を再評価して「旧劇こそラストに相応しい」とした。単なる懐古なのか、新作に便乗したアクセス数稼ぎか、新たな傑作を素直に評価できない天邪鬼な反応なのかはわからない。元々、旧劇版はアニメ版のラスト2話を作り直したものである。しかしアニメ2話のスケールとはとても思えないえぐみと衝撃を持っている。それ故、上映から何年も経ち、更に作り直しが加えられた作品を観せられても、おいそれと納得できないほどの強度を持つ。

 


こちらの記事では『新世紀エヴァンゲリオン  air/まごころを、君に』のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この作品は所謂『セカイ系』である。ショッキングな出来事がシンジくんを襲い、それらと闘う中で、世界の命運を預けられる程の力を手にする。目の前に地球をポンと差し出されて「お好きにどうぞ」と言われたらぼくらはどうするだろう。ぼくは宇宙飛行士でもなんでもないので、本当に地球が丸いのか見たことがないし、機械にプログラムされた世界の中で動いてるだけなのかもしれないし、この世界は見知らぬおじさんの夢なのかもわからない。正体はわからないが、この世界によって感情はめちゃめちゃにされた。内臓が飛び出るくらい嬉しかったこともあるし、消えてなくなりたいぐらい悲しいこともあった(今思ったらそれほど感情的になる出来事ではなかったのかもしれない)。それをなんとでもできる立場に置かれるのである。

 


シンジくんは、地球上の生命体を1つに統合することを持ちかけられる。他者がいなければなんの否定もない。自分の醜さや身勝手な行為を気にする必要はなくなる。生き永らえるために媚びを売ることもしないでいいのだ。自己と他者の境界はなんだろう。なにをもって「自分らしい」とするのだろう。シンジくんは命を懸けてエヴァに乗ることが「自分らしさ」なんだろうか。自分に自信が持てずに、必死こいて働いて、勉強するのは「自分らしさ」を確立できずに他者の中に埋もれてしまうことを恐れているからだろうか。何者かになりたいという欲求は自己を確立したいから湧き出る感情なのだろうか。

 


他人は制御できない。自分は寝たいときに眠れられるし、爪が気になれば切れる。勝手に上司の爪を切ろうとすれば激怒され、酷ければ部署異動である。だからこそ他者に評価されることは清々しくて自己が認められたような気になる。そして彼らが「ぼく」に求めるコトを列挙し、それこそが「ぼく」なのではないかと錯覚させられる。しかし、求められている像から外れれば失望されるのである。

 


さて、目の前に地球がある。シンジくんは他者と「また会いたい」と思って統合を拒んだ。地球には否定もされたし、「ぼく」を演じきるように強制もされた。隕石が降ってきて人類みんな仲良く居なくなれば辛い思いをしなくていいかもしれないと考えたこともある。実際には目の前に小型の地球なんてないし、この文章を打っているダークモードで画面が黒くなっている液晶があるのみである。しかし、今生きているこの状況は、死と生を天秤にかけて生きることに傾いている結果ではないのだろうか。クソみたいな世界で、心ない人がいて、それでも生きている。生きていようと思える。それがこの世界の正体である。