若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のネタバレをします

 

 


エヴァQから9年。待ちに待った最新作にして完結作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が公開されました。賛否両論を巻き起こしていくつもの謎を残したまま終わったQ。その謎がどう解明されるのか楽しみにしてたのですが、まさかこんなに待たされるとは。シンジくん、あるいは庵野さんがどんな答えを用意してるのか。気になっているファンのみなさんは何の情報もいれずに作品を楽しみたいし、告知映像等も宇多田ヒカルさんの曲に乗せて本編映像をチラッとみせるだけでストーリーに触れるような情報は公開されなかったため、故意にネタバレする方には批判が集まりました。

 


そんなネタバレ犯の中には愉快犯もいてYouTubeの全く関係のない動画のコメント欄にエヴァのネタバレを書く人もいたそうです。その為、ネット断ちする人はもちろん、見終わった方々のリアクションさえ見たくないマニアは開演時間のギリギリに入場したそうです。(ぼくの友人は、劇場で見終わった人たちが感想を話し合ってるのを耳にしてしまったそうです)

 


そんな期待と関心の集まった作品、シンエヴァの感想をここに書きたいと思います。じゃんじゃんネタバレします。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンジくんの手によってニアサードインパクトが起こり、人類の多くは亡くなった。自分の失敗を"なかったこと"にするためにカヲルくんと行った作戦、こちらも失敗に終わり、更なる被害を生む。大きな絶望感の中、シンジくん、アスカ、綾波は帰路につくーーー。

 

 

 

 


ここまでがQのラストまでのあらすじである。絶望のどん底からシンジくんがどう立ち直り、失敗にどう向き合うのかに注目しながら観た。まず驚かされるのはQになかった生活感だ。Qの舞台は飛行兵器や廃墟のような基地のみで、かわってしまった世界とシンジくんの犯した罪の大きさが感じられた。そこからシンの冒頭では復興を目指す平和な村が描かれる。その村では「起こってしまった事態は過去のこと」だと割り切り、未来に向かって動いていた。シンジくんの旧友たちもシンジくんを温かく迎いれてくれた(旧友たちの変化には驚いた)。

 

 

 

だが、この光景を目にしてもシンジくんは立ち直ることができない。これは劇中でも言及されていた通り「ケジメをつけないと割り切れない」からだ。自分が満足のいく形で、そして迷惑をかけてしまった人たちに償わなければいけない。そのケジメこそがQで見せたミサトさんの異様な態度の理由だし、Qで安易に"やりなおそう"として失敗した理由である。故意であれ、過失であれ、自分の選んだ行動には責任が伴う。自分の行動の意味するところを知らなかったとしても、その効果を無かったことにはできない。

 


そこでシンジくんが選んだ答えが対話である。

 

 

 

エヴァは制作会社がかわっても、公開するフォーマットがテレビから映画にかわっても、時代がかわっても"メッセージ"は一貫している。「人とどう関わっていくか」だ。人類補完計画は人類をひとつに統一する計画である。自分と他者との境界がなくなればいちいち自分の失敗を責め立てられないし、ケジメもつけなくてよくなる。碇ゲンドウの語る「他人の家が苦手だった」や「知識は拒まない」には強く共感した。それほど拒絶されることが怖い。現実の"世界をひとつにしよう"なんて平和的に見える考えも自分の思想を押しつけているだけで補完計画とかわらない。他人がいてはじめて自分の存在、あるいは自分のおかしな点に気づける。もとより1人であれば孤独を感じることさえない。

 


あらゆるものを犠牲にして亡くなった妻を追い求めるゲンドウと向こう見ずに綾波を助けようとしたシンジくんに大きな差はない。しかし、誰かを幸せにすることは誰かを不幸せにすることに繋がるかもしれない(綾波が抱える恋心によってアスカが自分の胸のうちを明かすことをやめたように)。

 


だから対話が必要なのだ。なにが人の幸せになって、なにが人の不幸になるかを知るために。そして、自分の不幸や人の不幸を癒すために。