堕落の労力のために
夏目漱石作「それから」を読みました。
両親から結婚を迫られている主人公がのらりくらりと生活しながら自分の気持ちに気づいていく話。
主人公の代助は頭のいい人物のようだが、お金を持っている両親に生活費を貰って自分は働こうとしない。それどころか働くことを馬鹿にしている。
友人に「働くことと食べることのどっちが目的なんだ」と聞いて、「食べることだ」と言われれば、食事代以上の働きをすることは「堕落の労力」だという。
ぼくはその2択から間違っているような気がする。正確に言ったら2020年には誤っている。"自分の金で飯が食えるようになりたい"気持ちが分かるが、寿命が延びて人生100年時代の今は「安心」が欲しいのだ。働けなくなった時の為に年金を払って、保険料を払って、それでもそのお金が返ってくるか心配になって預金をする。安心を買う為のお金は高額で「堕落の労力」が生まれることはない。むしろ早期退職したくて、堕落したくて、お金を貯めている。
代助はあらゆる職業に興味を持ったことがない為に表面上の情報しか持っておらず、内側から考えたことはなかった。外側から笑うだけで、ビジネスマンらしい考え方は一切持てなかったのだ。
ぼくも企業研究を浅くしたまま就職活動をしてしまった。1日に8時間、あるいはそれ以上の時間を会社に献上してまでやりたいことなどどれだけ探しても見つかる気はしなかった。優しそうな総務の方との会話だけで直感的に選んだ会社だ。
案の定、働き始めてからギャップに苦しんだ。働くまで働くことから目を逸らし続けて、いざ働き始めたら、職場のどこに目をやってもそこは職場なのである。
休職しても早期退職するための資金を前借りしているだけで、いずれ生活費が必要になって360°仕事の暗黒空間に戻されることになる。外から笑うのは簡単だ。その内側にいることはとても辛い。内側から幽体離脱するように外の世界に想いを馳せてないと心が保てない。