若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

ルーツを語る星野源とポケモン

 

 


先日の星野源オールナイトニッポンにて新曲「創造」について星野さんが話した。この曲はマリオの35周年テーマソングである。CMでよく耳にする。タッチパネルのゲーム機やリモコン型のコントローラー、コントローラーとゲームを一体化させてしまう発想。新しい遊びを"創造"し続ける任天堂に星野さんも"創造"で答えた。この曲のジャンルは「オルタナティブ」である。オルタナティブの和訳は代替手段である。既存の音楽から新しい音楽への代替を目指した。

 


星野さんも「みんながヤバいと思える曲にしたくてこの曲をつくった」と話していた。

 


リスナーさんのリアクションもよくて星野さんの話も熱くなる。いつのまにか話題は星野さんの曲作りのルーツ、少年時代の話になっていた。

 


星野さんは子どものとき、周りで流行っていることが素直にすきになれなかった。『なんですきなんだろう』という想いを抱え、逆に自分のすきなものは理解されなかった。遊びにいれてもらってもなんだか溢れてしまっている。

 


自分のすきが周りに通じなかった。星野さんは自分の"すき"を固めて曲にした。そうしたら理解されるようになった。ヒトとの間を川が遮っていると思っていたら向こうから橋がかかった。

 


いま、25歳のぼくは『ポケモン』が共通言語だった。しりとりをすれば『ポケモンしりとり』だったし、友だちが集まればポケモンを交換した。ぼくの父親はなぜか携帯ゲーム機に否定的であった。

 


「あんなにちっちゃい画面に顔を近づけてゲームをするのがダサい」

 


と言って、ゲームボーイアドバイスを買ってもらえなかった。

 


ぼくの唯一プレイしたポケモンは「ポケモンコロシアム」というゲームキューブのソフトだ。周りのみんながしていた「ルビー/サファイア」ではない。ポケモンコロシアムには野生のポケモンが出てこないので、トレーナーのポケモンを奪いとる。ゲーム性は全く違い、友だちと話は通じなかった。

 


友だちと遊ぶことが増えたのはひょっとするとお酒を飲みはじめてからかもしれない。お酒を飲んでしまえば笑いの沸点は著しく下がり、しょうもないことで笑えるようになる。『ポケモン』のような共通言語はなくてもいい。酒が星野さんの言う"橋"であった。

 


ただ、いつも橋がかかっているわけではない。彼らには彼らの生活があり、仕事がある。四六時中ぼくの相手をしてくれるわけではない。だからぼくは日記を書くのかもしれない。一緒に飲んだときに笑ってもらえるために。これがぼくの創造だ。

家具屋のおじさんに、松本まりかと泣いた話

 

 


先日の情熱大陸松本まりかさんが登場した。松本さんといえば、ソフトバンクのCMに出演して白戸家の"お父さん"にガラケーからスマホへ機種変させたり、バラエティ番組に出れば料理に大量の油をかけて、驚かされた。

 


昨年のブレイク女優にランクインしており、情熱大陸の密着中は体力面や精神面で心配してしまうような場面が多かった。少々無理をしているようにみえる彼女であったが、無理を続けるのは幼少期から抱えた想いによるもののようだった。

 


彼女はシングルマザーの母親に育てられた。1人の時間が多かった彼女は『寂しい』や『好かれたい』という思いが強く、ブレイクしている現在も『嫌われたくない』といった気持ちがあるようだ。

 


ぼくも学生時代から友だちが多い方ではなく、孤独感を感じており、1人でいるときに同級生たちが教室で盛り上がっていると、1人でいることがとても恥ずかしいように思えて、家に帰りたくて仕方なかった。今でも会社で人集りをみると、どこか遠くへ行きたくなる。その輪に入りたくても嫌われてしまうような生意気な態度はとれないし、出過ぎたこともできないので口数は減る。そして『少々、無神経ではないか』と思っていた同期が先輩社員たちと登山してたり、バンドを組んでいることを知ってどうしていいのかわからなくなったことが数えきれないほどある。

 


久々に休みのとれた松本さんは気になっていた家具屋さんに出向いた。少し不恰好な癖のある木々を見事に組み合わせて素敵な家具に仕上げていた。家具屋のおじさんは松本さんに言った。「若い頃は『もっと嫌われろ。嫌われたら一人前だ』と言われた」と話した。誰にも嫌われずに好かれようと思うと、誰の印象にも残らない無難な人間になってしまう。誰かに嫌われても誰かに深く愛されるような人間になれるかもしれない。他人を恐れて黙っていては駄目だ。愛されるために嫌われたい。

ブラックになるもう中学生

 

 


『有吉の壁』を観ていると、芸人さんの新たな一面というか、知らなかった魅力に気づかされる。最近のお気に入りは、もう中学生さんである。ネタで使用するダンボールを燃やして泣き崩れたり、自分のネタをやりつつも(ウケがイマイチだと感じとったのか)オチでハリウッドザコシシショウのマネを入れ込んだりする。

 


エンタの神様やレッドカーペットでみるもう中さんは(個人的には)子ども向けの優しいお笑いをしたいのか、シュールな笑いをとりたいのか、自らのたどたどしさで笑いをとりたいのか分からず、どう笑っていいのかわからない、なんだか不穏な笑いといった感じでその不穏さに惹かれながらも「思い切り笑える」というものではなかった。

 


ダンボールを燃やしたり、人のマネを入れ込んだりすることで、その不穏さが振り切れてぼくは全力で笑ってしまう。もう中さんの素の部分を、強く知りたい、と思いながらも、素の部分を知ってしまうと不穏さがなくなるような気がしてもどかしい。だからぼくは画面にもう中さんが映るのを待ち続けて『有吉の壁』を観る。

深夜の馬鹿力。消滅の古市憲寿節カルタに追悼

 

 


伊集院光さんがパーソナリティを務めるラジオ番組「深夜の馬鹿力」にカルタのコーナーがある。2つのお題のカルタで面白さを競わせて勝ったお題が翌週に続き、あ行からわ行に辿り着いたらゴールインとなる。昨年、圧倒的な強さを見せたのが「あっぱれ張本勲カルタ」だ。張本さんが偏見に満ち溢れた喝を入れて「走り込みが足らん」とキレるメールが大量に届いた。張本さんとハリーをかけてハリーポッターのテーマが流れながら怒りのこもったメールが読み上げられるシュールな空気感がまたよかった。張本さんに対して、コーナーがはじまる以前はなんとなく『ネットニュースでよくみる人』という印象だったが、コーナーのおもしろさのあまり張本さんがだいすきになった。日曜の朝はシュウイチを観ていたがサンデーモーニングに切り替えようかと少し悩んだ。

 


張本勲カルタに手応えを感じたのか、似た系譜の「やめよう酷すぎる偏見カルタ』と、今回紹介する「すっとぼけ古市憲寿節カルタ」が誕生した。古市さんのカルタはこれら2つのカルタとは少し毛色が違い、偏見が含まれているものの『もしかしたら正しいのかもしれない』という正論じみた、とぼけがのったカルタだ。このお題で古市さんもすきになった。

 


このコーナーはリスナーの投票で負けると予選ブロックに戻される。その際は次の行へ進めない(あ行で負けたらずっとあ行でメールが募集される)。同じ行で3連敗するとお題が消滅扱いになり、メールの募集がなくなる。だいすきだった古市さんのカルタも消滅してしまったので、追悼の意味を込めて負けた週のメールですきだったものをご紹介します。(リスナーネームは失念してしまったので載せられません。申し訳ないです)

 

 

 

 

 

 

 


かなり攻めた下ネタなのでご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マトリョーシカってコスパよくないですか?

アナルへ入れたら自分の限界がわかるし

次の目標も視認できるからモチベーションになりますよね?

しかも置物としても使えますよ」

 

 

 

 

 

 

伊集院さんや古市さんがこれ言ってると思ったら大爆笑ですよね。

 

 

 

そもそも偏見って悪い意味でとられがちですが、ぼくは100%悪い成分でできてるとは思えないんですよね。なんとなく対象に強いイメージを持っていてそれが行き過ぎてしまっているだけで、個性を敏感に感じとれているように思えるんです。偏見で他人を責め立てるのには抵抗を感じますが、偏見を通して人を見て、その偏見を覆すようなギャップを感じると魅力的に思えるし、その偏見通りの振舞いをされても"らしさ"を感じて芯の強さが伝わってきます。だからぼくは(言えそうな人であれば)偏見を自ら言うようにしています。上司に対して「仕事熱心で怖い部分ばかり目にしているのでもっと普段の(上司)さんのことが知りたいです」と言ったり、穏やかな総務部の方に対して「穏やかな方だと思ってるんで安心して話せます」と言ったこともありました。

 


後者に関しては意外と本性は怒りっぽい人であることが判明して普段抱えている怒りであったり、過去にその人を恐れていた人のことを聞いたりしました。偏見によっていろんな面からその人を知ることができるので、偏見と、その人に偏見を伝えたときのリアクションと2度楽しめて、深くその人のことを理解できるようになります。

 


実は古市さんは友人が多いそうです。そういった偏見もコミニケーションにおいて有効な手段なのかもしれません。

アンダーマイニング効果によるモチベーションの薄れ

 

 


小学生から大学生に至るまで、勉強へのモチベーションは一貫して低かった。仕事をはじめて、勉強することの必要性に気づいたが時間外に会社のことをする意欲は湧かなかった。世間一般の考えから決して外れてるものではないと思うが、これをシステムが妨害する。働き方改革である。

 


『時間外に仕事のことをしたくない』。では仕事における経験値はどこで得るのだろう。それが時間外労働、所謂残業である。『仕事だから』と渋々ながら余分にやっていた行動がメタルスライムの如く、経験値になっていたのである。ぼくが入社したのは働き方改革のはじまった年だ。スライムでコツコツと経験値を貯めているがなかなか村人からジョブチェンジできない。いや、村人も武器屋や宿屋として立派に働いているのだから。スライムの方が近しい存在なのかもしれない。

 


「アンダーマイニング効果」というものがある。内的なモチベーションで行っていた行為が、外部からごほうびを貰ってしまうと元々のモチベーションが下がってしまうというもの。会社でいうところのわかりやすいごほうびはお給料だろう。ひと月の仕事の中でもっとも気分が上がるのが給料日なのは間違いない。しかし次の日には『給料日まで一ヶ月もある』と気分は最低だ。もうごほうびのことしか考えていない。

 


独学をはじめて仕事に関する知識を得ている。自己評価の低い自分だが、知らなかったことを覚えると、変化を実感する。勉強自体に価値を感じて『ついでに仕事もできるようになればいいかな』と思えるようになった。これからは自らモチベーションをつくりあげて外部からの報酬に惑わされないことだ。

両親に言わない方がよかったこと

 

 


うつ状態であることを総務部の方たちに報告したときに「両親に連絡したか」と訊かれた。

 


たぶんぼくの両親は古い人間だ。酒を毎晩飲み、タバコを吸い、礼儀を大切にして、世話焼きである。なにかにつけて「なにかいるものあるか?」といったり、「金はあるか?」と訊いてくる。そうすると気を遣うようになるのか「欲しいものはない」「貯金している」と言うようになった。両親はそんなにお金を持っていないと知っているからだ。

 


会社を休みはじめて約半年。症状が軽くなったときに再び「両親に連絡したか」と訊かれた。復職の前に休んでいたことを伝えてほしくて訊いたそうだ。あまり乗り気ではなかったが、嘘をついて職場に戻りたくなかったので母親に電話をかけた。半ば解決したことであり、事後報告のつもりで明るく話そうと思いながら電話のコールを聴いた。説明するために当時のことを思い返していると途端に心が重くなった。

 


電話に出た母親に大分ぼかしながら「体調が悪くて会社を休んでいた」と報告した。当然、休んでた日数だったり、どんな症状だったのか、を尋ねられた。しかし沈みきって話せる状態ではなかった。何度も同じことを尋ねられ、つい強い口調になって「今度会ったときに話す」と言って電話を切った。

 


すぐに、普段と変わらない文体の何行にも渡る長文のLINEが届いた。返信することはできなかった。

 


情けなかった。親にも本心を打ち明けられずに誰に心の内を伝えられるのだろうかと思った。心配させたくなくて多くを話せなかったが、何も伝えない方が心配させてしまうだろう。全快して笑い話になってから報告すればよかったのかもしれない。会社の他人よりも親の平穏を優先すべきだった。あんなことは言わなくてよかったのである。

登大遊の「けしからんですよ」

 

 


ウチのオフィスは土足厳禁である。下駄箱で上履きに履き替えて階段を上がる。空調は弱々しい。あるいは空調の口の真下にいるぼくのところはその心地よい空気が届かない死角になっているかもしれない。より苦しいのは夏場だろうか。私服とのギャップが大きいから辛いのかもしれない。設計職であっても現場にモノを見にいく。ダボっとした服は危険だから着れない。そうなると我々も作業服を着なければならない。しかし半ズボンはどうだろうか。上が半袖なんだから許されるような気もする(おじさんの半ズボン姿が見たくないとしても)。夏場であれば作業服の下はTシャツを着ている。自分の席でTシャツ姿になっているおじさんもいるが、ぼくのような若手がやるのは少し勇気がいる。卓上扇風機を置いていたこともあるが、『(音が大きくて)迷惑になるんじゃないか』と思い、引き出しにしまった。

 


先日の情熱大陸プログラマ登大遊さんが出演していた。あの人は「けしからんですよ」と言いながらボタンのシャツを脱いだ。こんな格好じゃプログラムは打てない、と話していた。おそらくあの人にとって適切な服装がその都度あるのだろう。シャツを脱いだ登さんは国内に毎秒1000件送られてくるというウィルスと闘っていた。

 


ぼくは上司や先輩に対して遠慮がある。その遠慮が服装にも現れているんだろう。しかし登さんに言わせてみればそのことも『けしからんこと』かもしれない。ぼくの遠慮は能力不足によるものである。なのに、服だとか空調だとかつまらないことを言いわけにしている。服を脱ぎ、シャツにプリントされたマリオを見せつけてやろう。「ゲーム好きなの?」みたいな会話になるかもしれない。