若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

自由な発想

 

外山滋比古著「思考の整理学」を読みました、

 


従来の教育は先生と教科書という、「答え」に基づいたものだ。答えという風に乗り、滑空する。いわば、グラインダーの生産工場が学校である。

 


社会に出れば、「自発的な人間」が求人の募集要項に現れる。こちらは自分のエンジンで飛べる飛行機だ。

 


しかし、グラインダーが飛び回ってる空を飛行機が横切るのは危険である。

 


教師も教科書の内容を理解して欲しいのに、塾のドリルを広げられたら困ってしまうだろう。

 


グラインダーとして、育てられた私たちに突然「飛行機になれ」と言われても、構造が全く違うので元からトランスフォーム能力を持った人間しか社会で活躍できないのだ。

 


ここでいう、エンジンとは自分にしかない発想のことだろう。自力で飛べなければエンジンではない。この発想をどう生み出すかというと「複数の既存のもの」に「少しの個性」を触媒として化学反応を待つのだ。この本にたびたび出る、「見つめる鍋は煮えない」とあるように反応するのを見続けてもダメだ。目を離して反応を待ち、なにかのきっかけで化合物ができる、これが独自の発想となる。私たちにできるのは反応が期待できるものを見つけておいて、鍋に入れておくことになる。

 


私が記録に使っているジャーナルたちは鍋だ。心に響いたものたちと、その時ぼくが抱いた感情や類似エピソードが鍋に突っ込まれている。1年前の日記に目を通して、「やっぱおもしれぇな」とだけ思って終わる。だが、1年前と今では抱えてる思いも考え方も変わっている。細かい言葉遣いも気になってくる。化学反応が進んだ鍋をおたまで混ぜて反応を進めることが今後の課題である。

 


従来の教育はグラインダー人間を作ってきた。教科書の中身をたくさん、覚えている人間ほど評価される。しかし、コンピュータの登場によってたくさんの事を覚えていても評価されなくなった。事務作業はコンピュータがなり変わっていくだろう。人間らしい、独自の発想をしていかなければならない。

 


ストゼロを一気に飲んだら9%の確率でしか酔わないみたいなね。