若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』における結婚


両親に会うと間違いなく「結婚しないのか」と訊かれる。会わなくてもLINEで訊いてくる。相手がいるし、いずれしようと思っているが自発的に式をあげようという気にならない。この気持ちを自分でも不思議に思っていたが、ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」の第一話でその正体が明らかになった。

 


「生きるとか死ぬとか父親とか」はコラムニストのジェーンスーさんの同名小説が原作のドラマだ。毎話、スーさんが人生相談にのりながら、その相談に沿ったテーマで話が展開される。その第一話でよせられた相談が結婚なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは「生きるとか死ぬとか父親とか」第一話のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


30歳手前で結婚する意思が湧いてこない相談に対してスーさん役の吉田羊さんはタイムラグなくすぐに回答しました。「独り身がドラッグなのだ」と。一人暮らしで享受した自由を手放したくなくて結婚したくないのだ。家事やお金の管理など家の役割がそれぞれに割り振られて、役割を遂行しないと責められる。管理者が自分ではないと自分の行ったことに対して文句が出てきてしまう。なんたる不自由。出かけるときは行き先や帰ってくる時間を宣告しなければならない。目的地もなくひとりで彷徨いたいときだってある。

 


結婚自体に否定的な感情を持ち合わせているわけではなく、今の生活が揺らいでしまうことに恐怖しているのだ。ぼくはパートナーと既に一緒に暮らしている。結婚によって大きな変化があるとは考えていないが、それでもなにかが失われてしまいそうで踏み切れずにいる。

 


ドラマでは

"結婚とは死ぬほど好きだと思った記憶を留めておくこと"

と語られていた。

 


いつかすきじゃなくなっても婚約をしている事実が2人の関係を肯定するのである。しかしその気になれば簡単に離婚できるのではないだろうか。あくまで婚約関係は2人を繋ぎ止めておく防波堤でしかない。しかもその防波堤はお子さんや世間の目など他者による部分が大きい気がする。結婚とは結びつきを強めて、それを周りに周知し結び目が解けないようにする、一種の契約ではないだろうか。携帯電話の2年契約と変わらない。こちらはスパンが定まっていないだけの話だ。ぼくが結婚したがらないのは既に結び目の強さを知っているからではないだろうか。向こうや両親が結婚を急ぐのはその結び目の強さが十分だと思えないからだろう。結婚以外に結び目の強さを認識できる行為があるのなら教えてほしい。おそらく結婚ほど明確さを持ったものはない。やはり解けないようにするには結婚しかない。しかしいまではない気がしてしまうのだ。