若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

アリストテレスに学ぶ老後の備え

 


月初めに貯金をしている。そうしないとあるだけお金を使い切ってしまいそうだからだ。ほしいものはないのにお金をつかいたい欲求だけがある。ほしいものがないくせになんのためにお金をとっておくのか、と訊かれれば歳をとったときに穏やかに暮らしたいからである。老後の貯金は2000万円必要だそうだ。いまの調子じゃそんな大金を蓄えられるのかわからないが未来に怯えたくないので貯金をしている。

 


健康にも気を使っている。2日に一度リングフィットアドベンチャーをしている。ガッキーがCMに出ているあれだ。通算で100日以上しているが未だに筋肉痛になるうえにリングコントローラーの反応が悪くなってきたので余分にリングを押し込んでいる。毎日ではなく2日周期でプレイしているのは余分に押し込んだ疲れによるものである。

 


だが哲学者アリストテレス先生は老後の備えとして貯金や運動のことに言及していない。アリストテレス先生の考えはこうだ。

 


『教育は老年のための最高の備えである』

 

 

 

運動をしても加齢によって身体は衰える。脳の働きも同じく衰えるが最近の研究で『50歳まで脳は成長する』というような文章を見た覚えがある。つまり、脳の方が衰えるのが遅いのだ。将棋の加藤一二三さんもついこの間まで現役だった。

 


そしてこれは持論なのだが、人生は長い。だがなにかを学び尽くすには短すぎる。同じような日々が繰り返されて目覚める度に『またこの続きか』とゲームの難所でセーブをしたデータをローディングしたときのような気持ちになってしまう。この日々は当分続くだろうし、この難所をクリアしない限り状況はかわらない。

 


しかし、勉強は違う。なにかを学ぶ度に新しい景色を知ることができる。そしてあらゆる学問がうまれて発展を続けている。それらすべてを学ぼうと思っても到底無理だ。だが人間がここまでの技術をつくり出せたのは学問の積み重ねによる。夜の寝苦しさに悩まされずに涼しい部屋で眠れるのも、出社時間のギリギリに目覚めてもエンジンをふかせば間に合うのも学問とそれに付随するアイデアのおかげだ。あらたな技術が学問によってもたらされるだろう。勉強を続けていればその技術の凄さに気づけるだろうし、自らが生みの親になれるかもしれない。だから勉強をする。老年のために。そして老年になったときに自分の成し遂げた偉業の素晴らしさを再確認するために。あるいはあらたな偉業を夢みて。