若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

東京事変伊澤一葉が10代に送った言葉

 


東京事変の曲を聴いたのはアルバム『スポーツ』に収録されている曲のいずれかであったと記憶している。『能動的3分間』か『勝ち戦』か『閃光少女』であろうか。何はともあれアルバムを通して聴いたときに衝撃を受けた。なんのジャンルに含まれるのかわからない曲が多様に収録されていた。簡単にJPOPと形容できるようなものではなくアルバム内に同じような曲などなかった。

 


先日のラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』に東京事変椎名林檎さんと伊澤一葉がゲスト出演していた。東京事変のメンバーはアーティスト然としており生活感が感じられない。お二人の人柄に触れたくてこの番組を聴いた。この番組は10代向けの番組で、林檎さんも伊澤さんも『先生』と呼ばれて登場した。林檎さんは終始、10代の真っ直ぐさに「眩しい」と感激しており、ラジオのパーソナリティという職業を羨ましがっていた。

 


リスナーはサプライズでお二人と電話を繋げてもらっていた。サプライズの驚きようはぼくにとっても眩しくてファンの鏡であった。驚いていた彼であったがすぐに東京事変の素晴らしさを讃えて、東京事変の音楽性から『自由』というメッセージを読み取っていた。

 


それは奇しくも伊澤さんが番組の最後にリスナーたちに送ったメッセージと同じであった。リスナーもクリエーターも自由を感じあっていたのだ。林檎さんも伊澤さんも10代の自由を羨んでいた。曲で表現されているのは自由に対する渇望なんだろうか。彼女たちは自由ではないのか。

 


たしかに10代の自由さに比べれば、それは制限されていくだろう。ではぼくと彼女たちを比べればどうだろうか。おそらくぼくの方が自由だ。絶大な評価を手にしてる彼女たちであるが、それゆえに求められてるものもそれに見合ったものになっているだろう。今更、東京事変にありきたりでつまらない曲をつくってほしくない。それでいて不自由も歌ってほしくない。ラジオを聴いている間は年齢によって自由が制限されていくのだろうか、と考えたがちがう。その度合いは責任によって増してくる。ファンたちの理想に寄り添おうと思えば途端に自由ではなくなるのだ。

 


ぼくは幸いにもなんらかのメッセージを読み取ってくれるようなファンはいない。10代のように自由である。東京事変を聴きながらこの自由を謳歌しよう。