若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

たりなさによってうまれるもの

 


会社に文字通り爪弾きにされているおじさんがいる。ぼくは入社4年目で、初年度にその人と部署が同じになったが、その人はすでに4回部署移動をしている。ぼくの上司は「おれではアイツの面倒を見切れん」とボヤいていた。あの人の悪名は社内に轟いており、よく名前を耳にした。勤続年数自体は長いので仕事のことを聞きにいくことが多かったが3回に1回は寝ていた。あの人のいう通りにしたら怒られたこともある。

 


それでもぼくはあの人がすきだった。社会のプレッシャーに負けそうになってもあの人と喋っているときはプレッシャーを避けられている気がしていた。

 


先日、あるお笑いユニットが解散した。ぼくはその模様をオンライン配信でみていた。2人ともすっかり売れたが自らの劣等感によって結びついた2人であった。志の高さゆえの劣等感であるとは思うのだが2人とも『たりなさ』を感じていたのである。そのたりなさが2人を引き合わせた。たりなさがつないでいた関係だったのである。

 


ぼくは、あのおじさんに惹かれたように、なぜだか不完全な、むしろダメさ全開の人が気になってしまうようになっていた。それは自分の至らなさを重々承知しているからだろう。類は友をよぶというが、ぼくの友だちの悪いところもたくさん目にはいる。それでもその人たちと一緒にいようとおもった。たりてないからぼくが埋めてあげようとおもった。たりてないからぼくも埋めてほしいとおもった。

 


世の中にはどんどん新しくて複雑なものが生み出されている。それらすべてに適応してこなすことは不可能である。できないことを嘆くか、できないことに気づかないふりをするかしかない。だからまわりにたりないと感じることがどんどんふえていく。そしてたりないと感じる人がどんどんふえていく。そこで感じたたりなさがぼくらを引き合わせる。