若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

すきなことと得意なことは違う

 


先日の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』にジェーンスーさんがゲストでいらっしゃっていた。ラジオCM等でスーさんの名前をよく耳にしていたのでどんな人物なのか気になっていたが、放送を聴いていると人生相談で有名な方のようだ。会話の節々にこの人の信念のようなものを感じて好感が持てた。佐久間さんとスーさんは会話の中で

 


「すきなことと得意なことは違いますよね?」

 


と、話していた。スーさんは番組の企画で人生相談をするまで人から相談されることは少なかったし、佐久間さんも元々はテレビプロデューサーを目指していたわけではなかったそうだ。やってみてはじめて自分の特性に気づく。

 


しかし、"仕事にしても"すきなことや、"仕事にしても"得意なことがある人はどれくらいいるのだろうか。

 


ぼくは配属されて数日後にその仕事がすきなことでも得意なことでもないことに気がついた。

 


元から取り立ててすきなことなどなくイチ消費者として映画を観たり、ゲームをしたりしていたがそれを職として昇華する気持ちなどなかった。ただ新しいものが発売されたらやろうとしているだけでそこから踏み込む意思など持ち合わせていなかった。

 


仕事スケールでモノを考えてないので働くまでその事実に気づかないのである。

 


酒の席で「営業に向いてるよ」と言われたことがある。設計士をしているが、学校で1番できた教科は現代文である。そこそこ点数が取れていたし、これだけなら他の人に勝負できるぐらいには成績がよかった。自分の隠れた才能が見つかった、と思った。

 


仕事の適正にずっと悩んでいたぼくは会社を休みがちになり、とうとう営業職のオンライン面接までセッティングしてしまった。

 


午後6時のアポイントで人事部の方が自宅から面接を行ってくれるそうだ。ぼくはスーツに着替えて予定時間の5分前にリンクを飛んだ。zoomのような画面で、縦に二分割された左にぼくが映っていて右は真っ暗である。しかしこういったサービスには大抵、カメラをオフにする機能がついている。まだ人事部の方がいらっしゃってないのか、カメラをオフにしてぼくを観察してるのかがわからない。ぼくはなにもできずに自宅の見慣れた白い壁を美術館の絵画のようにじっくりとみた。一面が白いので作者の意図は伝わってこない。それでも悪い印象を与えないように壁を見続けた。

 


時間になると、40代ほどの男性が画面の右側に現れた。無地の壁からも作り手のメッセージを読み解きそうな思慮深そうな人物である。背景は自室だろうか、和室が映り込んでいた。

 


事前に知らされていた質問に用意された答えをしたが、聞き返されて、自分の答えを解説したがそれでも意図が伝わらずに終わった。一通りの質問をし終えた男性はぼくの寸評をはじめた。

 


「回答がまわりくどい。営業になりたければ一言で端的に話さないといけない」

 


と言われた。結果は後日連絡する、と伝えられたがひとつも褒められていなかったので結果のメールが届くまでの数日間は全くの無意味なものであった。たしかに現代文は得意だが、それ以上に人見知りだった。諦めがついたのもこのときである。自分には黙ってパソコンで作業をした方がよいと思えた。

 


それから時間はかかったものの前向きに仕事に取り組めるようになった。自分で揃えた情報を元に絵を描いて伝える。仮に文句を言われてもまわりくどいことなど言わずに「強度計算した結果は大丈夫でした」と数字で逃げることができる。得意なことはまだぼくの勤続年数では判断できない。そして"仕事として"得意なことやすきなことが見つけられる人の幸運に気づけた。どちらも見つけられない人がそれなりにいなければ働き方改革など起きない。みんな仕事など得意でもないし、すきでもない。それでもこなしている。壁を見続けなければいけない。見続けていれば前の住人の残していったシミぐらいは気づけるのかもしれない。