若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

同棲かと思っていたがシェアハウスかもしれない

 


男女2名がともに暮らすとしてどう過ごすのが理想なのだろう。小さなベッドに身を寄せ合って眠るべきなのだろうか。向かい合って食事をしてその日の出来事を話し合うべきなのだろうか。ぼくらはどちらもしていない。

 


男女で眠りの周期が違うらしい。これは赤ん坊を育てるために女性が最適化されていて眠りが浅い状態が長く続く。周期が違っているので眠りに落ちそうなときに寝返りをうたれて目が覚めてしまうことが起こりうる。逆も然りだ。これでは2人とも寝不足のまま朝を迎えることになる。

 

 

 

実家で暮らしていた時は食卓の中心にテレビがあった。茶碗を左手に持ったまま身体はテレビのある右側を向いていた。半身でテレビを観ていたのでご飯の情報はあまり入ってこない。母親はさぞ寂しい思いをしたに違いない。所謂おふくろの味よりもバラエティ番組を覚えているので帰省したときに食べる食事が美味しくて驚く。

 


今でも食事のときはテレビをつけている。かわったことと言えばテレビの配置程度である。よく目にするのはドキュメンタリー番組やトーク番組だ。これらの番組は出演者の思考や生き様を覗けるからすきだ。彼らの言葉を取りこぼしたくないのでテレビを観るときは話かけられたくない。

 


それならばテレビを消して画面に映っている人ではなく彼女の話を聞けばいいのでは、と思うかもしれないがそうでもない。長年一緒にいるので大抵のことは知っているし、話しても同じような内容の焼き回しになる。どっぷりと構えて話すのならば外食するなりドライブに出かけるなりテレビのない空間にぼくを放り込めばよい。

 


同棲生活をすると、不思議なもので家事の担当が固定化されてくる。料理がぼくで掃除が彼女である。洗濯は干すのが彼女でアイロンをかけるのがぼくだ。残業をしない限り業務を任せることはしない。無理矢理に分業しようとすると引き継ぎがうまくいかない。例えば料理であればカレーのために買っておいたじゃがいもがポテトサラダとして食卓に並んでしまう。

 


そうして家での役割分担ははっきりと境界が引かれた。部屋で過ごす場所も定位置があって交わるのは少ない。睡眠は別々にとる。すきなテレビ番組を一緒に観ても番組の途中で席を立つ。なんなら違う部屋で過ごしているときに隣の部屋から聞こえる物音にビビったりする。そういった意味ではシェアハウスに近いし、実家とも言えなくもない。