若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

履歴書にすぐ書けるアピールポイントと斉藤和義

 

 


よく違う人生を妄想する。学生時代であれば「もし違う部活をしていたらまだ見ぬ才能が開花して大活躍してしまうのではないか?」。働いている現在であれば「もしちがう会社で働いていたらエリート社員としてスピード出世するのではないか?」である。もう少し近いところだと「もしぼくがこの会社の人事部で働いていたら就活生にどんな話をするんだろう?」と仕事中に真面目に考えていた。

 


就活中は「大企業に入ってやろう」などと大それたことなど考えたことがなかった。ひたすら「働きたくない」と思いながら奨学金の返済に怯えて「いかにストレスなく働けるか」を主眼に置きながら就職先を探した。そんな低い志なので入社試験を受けた会社は4社のみである。しかしその中でも働きたい会社の格付けはなされており、本命の試験は緊張に震えながら臨んだ。

 


面接官の方にもその緊張は伝わっていたようで面接の前にテーブルに置かれた戦車の模型の絵を描くように命ぜられた。与えられた時間は30秒のみで緊張に震える手ではまっすぐに線を引くことができずに戦車の砲撃する筒の部分が綺麗な直線に見えるように何本も線を足していたらタイマーがなった。筒だけが描かれたコピー用紙を見ながら面接官は「緊張が解けるようにやってもらったんですけどね」と不満気であった。ぼくが志望していたのは設計職である。面接官は「雑でもいいから短時間で全体像がわかるような絵を描いてほしかった」と付け足した。緊張緩和のために出された指示はぼくの能力を測る課題になっていた。そこからはじまった面接はぼろぼろで、誠意を持って応えようとしたがぼくの回答に力はこもっていなかったことだろう。

 


質問の中に「座右の銘はありますか?」というものがあった。ありがちな質問だろうが、ぼくはなんの答えも用意していなかった。返答に困っていると「なんの指標もなく生きているんだね」といわれた。厳しい言葉ではあるもののその通りだった。

 

 

 

面接において「大学時代になにをして過ごしたか」ということにかなりウェイトが割かれている。大学内で行われたセミナーでは小さなことでもいいが長期間に渡って続けたことを言うと、1つのことをひたむきに続けられる勤勉な人間にみなされてウケがいいと学んだ。それを大学3年目に言われるのである。それまでになにもしてこなかった人間に対してそのアドバイスは無力である。なんの成果を出すこともなく、なにも習慣づけられずに4年間を過ごすと履歴書になにも書けなくなる。

 


ただ先の座右の銘の質問によってぼくは気づいた。考え方はすぐに変えられるのである。過去の経験を今から変えることはできない。偽ることはできるとしても偽った経験に価値などない。しかし、大切にしたい考え方や言葉であればビジネス書の名著などを1冊読めばなんとなくわかってくる。これまでに触れてきたものを思い出してもいい。

 


ぼくは斉藤和義さんの「月光」を思い出した。斉藤和義さんは月光の中でこう歌っている。

 


『こっちの席じゃ若者が「男の価値はなにで決まるのかな?そしたらとなりの女が「そんなの"家族"に決まってるでしょ!」』

 

 

 

面接用に縮めると「男の価値は家族で決まる」である。ヒトは独り立ちするまでに最も時間のかかる生物だろう。周りには実家で暮らしながら両親にお金をもらい続けている友人が少なくない。時間に差こそあれヒトは他者に頼らないと生きていけない。たくさんのものを与えられてここまで生きながらえてきた。だからぼくは恋人でも、両親でも、友人でも、同僚でも、他者にたくさん"与えられる存在"になりたい。それがこれまでの25年の人生の恩返しであり、義務だと思う。

 


今の稼ぎだととても他者に分け与えられるほどの余裕はない。だけど、それでも、"男の価値"を上げたい。そんなことを仕事中に思っている。