若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

養老孟司『唯脳論』の等身大以上の思想

 

 


二日酔いの朝は吐き気と頭痛に悩まされる。症状がとりわけ酷いと内臓や脳みそを取りだしてやりたくなるが致命傷になる上に、酒が飲めなくなってしまうので考えなおす(そのときは飲みたいなんて思わないが)。この時期は花粉のせいか頭が痛くなったり、ぼーとしたりする。堪らずカフェインを摂取して気を引き締めるが、カフェインが切れると一段と症状は悪化してしまう。花粉が体内に取り込まれるのを防ぐためにマスクをする。コロナウィルスに関わらずマスクは手放せない。快・不快。これを判断するのはやはり脳によるところが大きいだろう。

 


養老孟司さんの『唯脳論』を読みました。解剖学者の養老先生が解剖学からの視点で脳について語ってくれます。脳とは神経細胞の集まりである。そしてこの細胞の働きは興奮と抑うつを感知すること、以上。喜びと悲しみ。プラスの感情とマイナスの感情を検知する機能があるだけである。それが高度な思想や独創的な発想、温かな思いやりになる。なんとも不可思議な。そして現代に必要とされているスキルは後天的なものも多い。

 


たとえば、計算能力は元々備わった脳機能ではない。小学生から算数を学ぶとすると生まれて6年後経ってようやく数について習って、おはじきなんかを使いながら1年かけて足し算や引き算を習得していく。掛け算はその後だ。言葉は勝手に覚えていく。1年近くかけて身につけるものではない。それほど計算は骨の折れる作業なのである。算数でさえ、そんな苦労を要するのだ。それ以上に高度なことは自然に理解できなくて当然なのである。

 


新たな知識を取り入れることは簡単なことではない。そして今ある知識は光に照らされて等身大以上に大きくな影をつくる。宗教や大事な人への想いは特にそうなりがちではないだろうか。大きくなってしまった影はぶつかり合ったときに強い衝撃を起こす。ただ人の知識、あるいは感情はいびつな形をしている。光の角度をかえさえすればケモノのように恐ろしかった影も他者を包み込むような優しい形になるかもしれない。だから多面体的に面を増やしていくとよい。4面体、5面体、6面体…もっともっと。そうすれば人の大きな尖った影も受け止められるし、人の大きな窪みも埋められる。