若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

F「いつか別れる。でもそれは今日ではない」における勉強

 

 


Fさんの「20代で得た知見」を読んでからこの方への猛烈な興味が湧いている。本を見渡しても所在地と著書しか書いていない。ぼくはFさんの著書「いつか別れる。でもそれは今日ではない」を読むことにした。

 


こちらの本でもFさんの恋愛観についてかなりのページが割かれているがここではFさんの考える勉強の目的についてお話ししたい。

 


『本当の勉強の目的は、こうだ。いつか出会うであろう、自分 の手に届くか届かないかもわからない、魅力的な人を、ほんの少しの会話で、獰猛に自分の世界に閉じ込めてしまう=色気を手に入れるため』

 


『五教科七科目を学ぶメリットの一つは「いま、目の前にいる相手の言葉や行動のなにかが、論理的・道徳的・物理的・人類の経験知的に、おかしい」と察知する知恵・知識を、即席でインストールできる点にある』

 


ぼくは数年たっても仕事ができるようになる気配のない自分が嫌になって勉強をはじめた。勉強していれば難解な方程式が解けるようになって英単語の並ぶ長文を読めるようになる。要は自分を肯定するためである。しかし、Fさんの考えではその勉強の効能は他人にも及ぶのである。魅力的な人を自分の世界へ招き入れることができて、どこかおかしい人を見知することができる。

 


何歳からか、足のはやい男の子よりも頭のいい男の子がモテるようになった。大人になると周りの女性は彼氏の自慢に相手の社名を出すようになった。いい会社に入れるとしたら頭がいいのだろうから随分広い年齢層で「頭のいい人」が人気を持っていることが分かる(顔のいい人は全年齢対象でモテる)。魅力があるのだ。知性には。知性とは現代で生き残る1番の力であるとわかっているから人が集まるのである。

 


ぼくの周りにはどんな人がいるだろう。とりあえず、友人はみんな出会えてよかったと思える人たちばかりだ。では社内は。ウチの会社の人たちで共通するのは「優しいけど、それを上手く伝えられない」ということである。個人的な話してみればわかり合えることが多いのだが、仕事の話だけではどうも距離を感じてしまう。Fさんのいうように勉強を続ければこの人たちも自分の世界に引きずり込むことができるのだろうか。それともこのまま会話を続けてもいいことはないとわかるようになってくるのだろうか。あるいは知識に見合った人が入れ替わるのだろうか。

 


勉強中なのでまだ定かではない。ただ、勉強する意欲がもっとふえた。そしてこの本を読んでもまだFさんについてはよくわかっていない。