村上春樹「ノルウェイの森」の頭の中身
親友の死を忘れられない男女の話です。ネタバレを含むのでご注意ください。
親友が亡くなって主人公の男の子と女の子はそのことに囚われていた。
『僕にしても直子にしても本当は十八と十九のあいだを行った り来たりしている方が正しいんじゃないかという気がした。』
彼らのときはそこで止まってしまって成長できずにいた。主人公が作中で読む小説はずっと一緒だ。
ぼくは学生時代にバイト中暇になるといつも棒立ちで考え事をして過ごした。考え事の中身は大抵どうやって生活費のやりくりをしようかというものだった。仕事をするようになってもオーダが空くと考えを巡らせる。この時はなんのスキルも身につかないまま歳をとってしまうのではないかと思ってしまう。そうなると新しいオーダがきても手につかない。その不安を抱えたまま家に帰って酒を飲んだ。今をボヤかして未来との距離感を曖昧にさせた。
この悩みが最近解決した。勉強である。数学や英語を学んでいる。ちょっと難しい方程式が解けるようになったり、はじめてみる英文の意味がわかると成長を感じて、自分が"ナニモノ"かになれたような気がする。
頭の中身を出し入れすることで換気が行われて気分が晴れる。
心が沈み込むときは決まってなにをするでもなく止まったようになった状態だ。
本作で彼らと対照的に描かれるのは大学で同じ講義をとっていた女性だ(緑)。
「ときどきあんな具合いになるわね。気が高ぶって、泣いて。でもいいのよ、それはそれで。感情を外に出しているわけだからね。怖いのはそれが出せなくなったときよ。そうするとね、感情が体の中にたまってだんだん固くなっていくの。いろんな感情が固まって、体の中で死んでいくの。そうなるともう大変ね」
彼らは新しい経験や付き合いで親友の思い出が薄まってしまうと考えているのではないか。だから自分の気持ちを手紙に書き出せないし、同じ考えをくり返すように頭のネジを巻き直す。彼以外の男で濡れてしまった自分に罪悪感を感じてしまったから他の男を受け入れられなくなったのではないのだろうか。
しかしなにをせずとも記憶は消えていく。緑ちゃんは自分のことどころかありもしない妄想のことまで話す。過去を精算するように。
「親友を亡くしてしまった人」のままだと悲しむことしかできない。知識を得て、外を眺めて、妄想をして、"ナニモノ"かを演じなければ幸せは享受できないのだ。