安倍公房「燃えつきた地図」による孤独と何者かであろうとすること
安倍公房さんの「燃えつきた地図」を読んだので感想を書きます。ネタバレを含みますのでご注意ください。
失踪した男性を追う探偵は、多くを語りたがらない依頼者たちを不審に思いー。
登場人物の1人がこんなことをいいます。
「神経にガラスの破片をまぶしたような毎日を送っているのだろうか?・・・そんな生活に耐えてまで、永遠の脱出をつづけなければならないほど、この世に耐えがたいものがあったのだろうか?」
たまに、いや、毎日のように会社に行かずにどこか遠くへ逃げ出したいと思ってしまいます。責任や義務なんて言葉がない街まで。しかし自分には仕事があって、月末になればクレジットカードの決済がある。役割を割り振られてそれをこなして毎日が過ぎていく。
この場から逃げだして道を歩く群衆に混ざる。ぼくからみれば彼らは何者でもなくてもはや風景である。なによりも自由。だが、そこにあるのは孤独だ。風景は眺められるだけだ。ひどいと目も暮れずに通り過ぎられる。
究極の自由とは孤独なんだ。