若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

F「20代で得た知見」による、どっちつかずのグレー

 

 

 

Fさんの「20代で得た知見」を読みました。

「20代の内に知っておいた方がいいこと」をまとめたエッセイ集です。

 


『生憎天気予報は晴れでも雨でもなく、曇りの日が多い。こんなに白か黒かを決めたがり、この色を身につけたがるのは、私たちが灰色の存在だからではないですか。』

 


本書において、上記のような文がありました。人は白黒ハッキリさせようとするが、それは我々がどちらでもない灰色の存在であるということ。僕は存在のみではなく人生自体が灰色じゃないかと思う。

 


高校受験で塾に通っていた時に塾長に言われたことがある。

「君たち受験生は受験勉強に追われて大変だと思う。真っ黒だと思う。だけど、受験が終わった後の高校生活も灰色の生活が3年続く」

 


高校に受かることはあくまで通過点であり、入学後も気を抜かずに精進しろ。ということを伝えたかったのだと思うが、この一言は僕のやる気の全てを削ぎ、しばらく勉強に手がつかなかった。

 


なんとか高校に受かった僕だが、合格の達成感で気は緩みきり、更に勉強しなくなっていくのであった。しかし、塾長が言っていたことは間違っていなかった。定期テストは止むことがなく、肉体労働もとい部活動によって筋肉痛に悩まされた。

 


だが、今思えば「あの頃はよかった」と感じるほど歳をとる毎に生活は辛くて、不安が募っていった。灰色の生活はおわることがなくどんどん雲は増すばかりである。

 


辛いことが余りにも多くて、いつしか僕の生きる目標は「平穏に生きる」になってしまった。大きな幸せは願わない。だから大きな痛みも与えないでくれ。そう思いながら部屋に閉じ籠るようになってしまった。

 


部屋に閉じ籠ってしばらく経ったが、やりたいことは殆どやり尽くした。元々趣味の多い人間ではない。ドラマを観るか、ゲームをするか、読書するかぐらいだ。酒も薬の相性が悪く殆ど飲めていない。安全で、なんの刺激もなく退屈な日々を送っている。

 


今よりマシだと思えた学生時代だが、冷静になって見ると面倒くさいことばかりだった。授業中に寝れば机を蹴られ、自転車で20分かけて川まで行ってボートを漕ぎ、2時間近くかけて家に帰る。そうすると、今の帰宅時間よりも遥かに遅い時間に、お腹が減り過ぎて正気を保てないほどフラフラになりながら玄関を開ける。あらゆることを強制されて生きていた。それでも未だに学生時代の夢を見て、「あの頃はよかった」と思い返す。お酒さえ飲んでいなかったのに。

 


痛みから逃げて安全なところに居続けても、この生活を顧みて「あの頃はよかった」と思えるのだろうか。散々嫌だった学生時代が美化されてる今、正常に判断することはできない。しかし、雨雲から逃げ回って、躍起になりながら晴れている場所を探して1日を浪費するのはもうやめたい。雨に思いっきり濡れて笑ってやる。あの頃みたいに。