若手社員の逃げ場

仕事で辛いことから現実逃避して、気持ちの休まることを書きたいです。

また黙ってヤケ酒をする

 


太宰治作「人間失格」の2回目の読破。

 


人付合いの苦手な主人公が他人を偽って苦しむ話である。

 


ぼくも主人公のように道化になってしまう。人に話せるほどの栄光や、のめり込んだ趣味もない。身を削りながら過去の失敗談を話して、相手の出方を伺ったり、相手も同じように失敗談を話してくれないかを待つ。失敗談だから相手のことをそれなりに信頼してないと話せないし、ただの愚痴になってしまう場合もある。もしかしたら相手のモラルに背くようなことを言ってるかもしれない。

 


だから、相手がどう切り返してくるか、じっくりと観察する。口数少なく返されると観察サンプルが少なすぎて、なにもできずにそこで会話は終了する。サンプルを大量に提示されても鑑定に時間がかかってしまい、一旦「なるほど」と挟んで、そのまま会話が終了する。

 


飲むの席の会話であれば数段、難易度は下がる。会話に内容がないからだ。薄っぺらい馬鹿な話に笑ってればいいし、薄っぺらい返しをしていれば成立するのだ。しかし、時代は残酷である。パワハラに怯える上司たちは「もしも」を気にして、お酒の量をセーブしている。困ったことに気に入られるべき、重役にその傾向が顕著に現れる。お酒の量をセーブしてリスクを負わない大人が出世していくのだ。

 


周りの若手社員たちはそんな大人たちに合わせて飲酒量を抑える。上部だけの、仕事の延長みたいな、それでいて1番仕事のできないベテラン社員を笑い者にするような会話で盛り上がる。ぼくはいつかその笑われるようなベテラン社員になってしまうのではないかと、アルコールの廻った頭で恐怖して、さらに酒を煽る。

 


お酒がないと喋れないんだから、素面で、しかも説教をされるとなると思考は停止する。なんの仕事も覚えてないぼくが、上司の指摘の矛盾点を即座に発見することができないし、なんの思想も持たずに、ただ割り振られた仕事をなにごとも起きないように終わらせようとするだけなのだから、失敗の理由も説明できない。

 


太宰治さんに言わせれば、ヤケ酒とは「主張のできないもどかしさやいまいましさで飲む酒」のことを指す。平日から飲むのはヤケ酒ばかりだ。いや、ひとりで飲む時はほぼほぼヤケ酒である。

 

しかし、いまのぼくは薬を飲み始めて、酒を控えなければならないような状況にある。終盤の主人公と同じだ。ぼくはもう人間失格なのかもしれない。